熟達したコーチになれるための過程なのか?

日本コーチング学会理事・庶務委員会
片岡 悠妃

· 理論知,実践知,コーチング学にのぞむ

 実践現場に生きる有用な知見を導くためには、コーチング活動の結果だけではなく、コーチの思考・行動過程そのものを科学的に研究することが重要です。私は、歩み始めの研究者でありながらひとりのヒヨっ子コーチです。なかなか着手できていませんが、この研究課題の重要性を認識し、日々の実践を研究論文へと思っています。今回は、私(コーチ)の日常を振り返り、ここ数年で変化したことや考えていることを、行為者側の視点から書いてみたいと思います。

 

コーチに必要な柔軟性とバランス

 チームで日々を過ごしていると、分からないこと、自分と違うこと、これまでと違うこと、想定外の出来事が頻繁に起こります。その場面に直面した時には必ず、「相手の窓からは何がみえているか」と他者視点に立ち、日頃のその子の“癖”から思考回路を想像し、理解に努め、よくよく本人達と話をするようにしています。視点を変えて物事を見られるようになったことも、意識的に感情のコントロールをするために日々のコーチング現場で訓練してできるようになったことです。選手と話をして考えを擦り合わせ、時には選手の斬新なアイディアに乗っかり取り組むことで、自分では思いもつかなかった方法でコーチとして成功体験を得られたことがこれまでにありました。

 この経験から、「意識的に選手の声を収集しにいかないとなぁ」とか「(色々言いたくなるけど)我慢して信じて待つことが大事」と感じました。また、私の中で、「コーチとはこうあるべき!(≒白黒つけてくれるゆるがない存在)」という考えを持っていたことに気付き、「ゆらゆらしていることは悪い事ではないのだ(自分がゆらゆらしている感覚が好きではないのかも?)」と、むしろ「ゆらゆらしている気持ち悪さがスタンダードで、それを味わいながらみんなで作り上げていくことが大事(≒そうでないと、気付いたら自分(コーチ)の決めつけや思考のみで突っ走ってしまう?排除しがち)」と学びました。


 

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 一方で、ここまで整理して改めて気付いた事は、ゆらゆらしている状態が、「あれ?初心者コーチ(自信も経験もない)の時には出来ていたことだったような・・・、その時の感覚と似ているなぁ」と思ったことも事実です(え?逆戻り?いや違う、表現するなら昔はグラグラで今は意識的なゆらゆら・・・)。私は、コーチの経験年数が上がれば、ゆらゆらしている状態から解き放たれて何か正解のような物が見えてくると思っていました。そして、一瞬その時期も味わった気がしています。しかし、その後に上記の経験をしたことで、改めて他者視点や客観的視点を意識的に取り入れる重要性を実感したのだと思います。また、この視点を持ち続けることが、コーチに必要な資質なのではないかと感じています。ここでいう「ゆらゆら」とは、思考を行ったり来たりさせながら自分なりのバランス(落としどころ)を見つけている状態のことです。「ん?」と感じたその一瞬で立ち止まり想像力を膨らませてゆらゆらする(≒考える)ことは、自分の中で凝り固まった思考や決めつけに気付き破壊してくれる大事な過程だと、実践を通して学びました。しかし、スポーツが勝負の世界である以上、瞬時に適切な決断を求められる場面も多くあるため、毎回時間をかけてゆらゆらしていられないのも事実です(これが情況を見た瞬間に精確に把握して実行できるということなのかな?ここが自分はまだ鈍い)。つまり結局のところは、瞬時に状況を察知する能力に長けていて(経験を省察する習慣で養われる?)、場面に応じてバランスよくタイミングよく必要な行動が取れるコーチが、信頼される頼もしいコーチなのでしょうか。

 コーチングは紛れもなく人と関わる仕事です。コーチは大人であることが多いと思います。大人が白黒つけてくれるだけの存在、ではなく、脆さはないけど一緒にゆらいでもくれる存在であれば、最高なんじゃないかなぁ(それが結果にもウェルビーイングにも繋がってほしい)と最近思っています。・・つづく。

 

 今回は、私の偏った今の頭の中をそのまま書き出させてもらいました。日本コーチング学会の良い所は、専門領域や競技を超えた交流ができることだと思っています。属性を超えた交流の活性化が日本コーチング学会の発展に繋がると信じて、自分が出来ることに精一杯取り組んでいきたいと思います。

 

 

 

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片岡 悠妃(かたおか はるひ)

仙台大学体育学部講師、仙台大学女子バレーボール部監督
日本スポーツ協会公認バレーボールコーチ3