「理論と実践の往還・融合」は、学術研究とスポーツの指導場面のような実践的な領域において重要であることは言うまでもない。学術研究で得られた理論的な知識をコーチング実践に適用することで、コーチング現場の具体的な問題解決や効果的なコーチングの遂行に結び付けることができるし、逆に、コーチング実践の経験やフィードバックを基に諸理論を再考することで、さらによりコーチング現場に即したスポーツ科学の理論的な枠組みの再構築に結び付くことが期待できるのである。
私事で、なおかつ時の経った話題で恐縮であるが、私は、30年ほど前、文部省在外研究員としてアメリカ、ブリガムヤング大学(BYU)において体育心理学(現在ではスポーツ心理学と総称されているが、当時はこの呼び方が一般的であった)とバレーボールのコーチングに関する研鑽を積む機会を得た。私が師事した教授は体育心理学の主要領域でもある「運動学習論」に関して博士号を有しており、BYU体育学部において講義を受け持つ傍ら、NCAA傘下のBYU男子バレーボールチームを指揮しており、アメリカバレーボール界の重鎮とも言える著名な指導者の一人であった。
バレーボールのコーチングと共に体育心理学を専門とする当時の私にとって、このような学問的背景とバレーボールに関する専門性を有する教授の下で研究活動をすることはまさに打ってつけの留学環境であったのである。しかし、初めてブリガムヤング大学男子チームの練習に参加した時、ウオーミングアップの仕方、個々の練習方法等があまりにも日本の練習スタイルと異なることに戸惑いを感じたことを今でも鮮明に覚えている。ところが、日を重ね、一つ一つの練習の目的とその内容が少しずつ理解できるようになるにしたがって、戸惑いは驚きと感心へと変わっていった。教授の練習は、氏の専門である運動学習の諸理論に裏打ちされ、さらに、バレーボールコーチとしての豊富な指導経験と知識に基づいた非常に合理的な練習であったのである。まさに理論と実践が融合された理想的な姿がそこにあったのである。
コーチングの現場での日々の練習は選手の技術向上、さらには、チーム力の向上を目指したものであることは言うまでもない。コーチは選手に少しでも上手くなってもらいたいと考えて、練習に様々な工夫を凝らしているはずである。
改めて説明すると、この練習という一定の訓練経験によって選手という個人のスポーツ技術に代表される運動動作が向上的に変容する(上手くなる)過程は、「学習」と呼ばれ、そのうち特にスポーツの練習のように、筋の反応や運動機能に関連した学習は「運動学習(motor learning)」と呼ばれているのである。
また、上手くなるためには日々の練習の積み重ね(ドリルと総称される)が必要であるが、ただいたずらに練習の量だけを重ねれば良いというのもではなく、やはりどのように練習するかといった練習のやり方・質も考慮されなければ練習の効率にも関係して明確な進歩は期待できない。
そして、この練習の質を規定する原理や原則と呼んでも良いものがあり、それらは前述した「運動学習」と呼ばれる運動科学の一領域に属するものなのである。さらに、多くの研究成果は、指導者がこれら運動学習の諸原則を適用することによりコーチングの有効性が向上することを指摘しているのである。
しかしながら、留学当時の私は「運動学習」の諸理論は体育心理学を専門と標榜していた手前人並み以上に理解はしていたつもりであるが、恥ずかしながらそれら諸理論と全くバレーボールの様々な練習場面との関連性を認識するという発想に至っていなかったのである。しかし、BYUで私の師事した教授の練習内容のほとんどが、運動学習理論で説明できるほど組織化されていることに気づいた時の「目から鱗」体験はその後の私のコーチング学へと傾倒するターニングポイントであったことは言うまでもない。
スポーツにおいて、理論知と実践知との融合を図る視点に立つコーチング学に関する研究は不可欠であり、その意味では日本コーチング学会の果たす役割の重要性は顕著である。
遠藤 俊郎(えんどう としろう)博士(医科学)
日本コーチング学会副会長、山梨学院大学スポーツ科学部学部長、1995年種目別学会の先駆けとなる「日本バレーボール学会」を立ち上げ、現在顧問を務める。日本スポーツ心理学会認定スポーツメンタルトレーニング名誉指導士、日本バレーボール協会ハイパフォーマンス事業本部顧問、アジアバレーボール連盟SEC委員