周知のように、日本コーチング学会は長い議論の末にコーチング学を「練習(トレーニング)と指導に関する理論」として成立させました(『コーチング学への招待』)。パフォーマンス論、トレーニング論、試合論、マネジメント論を中核とするこの理論の発展のかたちは、日本のスポーツ科学のあり方に大きな影響を与えると思われます。
我が国における「練習(トレーニング)と指導に関する理論」としてのコーチング学は、その源流をヨーロッパのトレーニング学に求めています。ドイツにおける高名な研究者であるシュナーベルらは、この学領域の発展過程について現場での「経験則の帰納的一般化」から自然科学的研究の発展による「トレーニング論の科学化」という流れで説明しています。これは研究領域名としては、「トレーニング論」から「トレーニング科学」への移行というかたちで確認できます。しかし、そのシュナーベルらによる代表的なコーチング学の著作である『トレーニング科学』は、その後の改定で『トレーニング論-トレーニング科学』と名称変更しています。これは「実践知」(帰納的経験的知識)と「科学知」の統合の試みを書名として示したものです。私たちにはこのようなヨーロッパの学問的流れを横目で見ながら研究の発展を進めていくことが必要でしょう。また、これは最近、注目を浴びている「総合知」(内閣府)という考え方とも符合します。
「総合知」とは、「多様な「知」が集い、新たな価値を創出する「知の活力」を生むこと」とされています。そして、この総合知の活用は、専門領域の枠にとらわれず、多様な知を持ち寄り、ビジョンを形成し、バックキャストしつつ課題を整理し、それぞれの専門知の連携により、目指す未来を実現することにあります(内閣府)。このことをコーチング学に引き付けて考えてみると、「実践知と科学知の相補的な関係」や「種目間ないしは種目類型間の知的交流」といった課題が浮かび上がってくるのではないでしょうか。これまでもずっと課題として位置づけられたものだと思います。前者の課題については、近年では前出のシュナーベルらのみならず、ウクライナのプラトーノフ、カナダのボンパ、イスラエルのイスリンなどにも同様の試みが認められます。後者についてシュナーベルは、前著『トレーニング科学』(第三版)の「序文」で「球技」や「持久性種目」でその試みは成功し、現場で活用されていると述べています。日本コーチング学会が2019年に刊行した『球技のコーチング学』もこのひとつの成果といえます。その意味では、これから刊行予定の『測定スポーツのコーチング学』(仮)と『評定スポーツのコーチング学』(仮)の試みは、世界的にみても類をみないオリジナリティがあるかもしれません。このふたつの課題以外にもシュナーベルらによれば、新しいコーチング学を成立させるための手掛かりとして、いくつかの重要な課題をあげています。私としては。重要試合前の準備に関する問題(アスリートの準備システム)に注目する必要性について指摘しておきたいと思います。
最後なりますが、新しくて古い問題、理論と実践の関係について考えたいと思います。現象学者のフッサールは、「実践」は自然的なあるいは伝統的な生に拘束されていて、「理論」はそのような拘束を抜け出そうとする世界全体を捉えようとする「態度」だと語っています。これは私にとってものすごく腑に落ちる指摘です。現役のコーチだったころをふりかえると、選手たちとの関係は、競技のことだけではなく、生活、学業、人間関係など多岐にわたります。これら全てが「競技」に関わってきます。まさに、「日常に埋没」していきます。このような日常の拘束から離れ、ブレイクスルーするためには「理論」が重要なのではないでしょうか。それも常識を打破する「理論」が。私はコーチング学にそのような「理論」、「大きな理論」の創出を期待していますし、自身も取組みたいと考えています。
青山 清英(あおやま きよひで )
日本コーチング学会副会長、日本大学 文理学部 体育学科 教授 博士(体育科学)、日本スポーツ運動学会理事、日本陸上競技学会副会長、日本スプリント学会 常任理事