スポーツにおける「心技体」の関係

日本コーチング学会会長 

尾縣 貢

· ひとりのコーチとして,理論と実践,コーチング学にのぞむ

スポーツの世界では、「心技体」という言葉がよく使われる。アスリートが一流になるためには、この3要素が揃っていることが条件と言われる。体(体力)と技(技術)は、そのアスリートの持つ潜在力と言えるが、それがそのままパフォーマンスに直結するわけでもない。

多くのトップ・アスリートは、国内の大会など自信を持って臨める場面では、安定した心の状態を保つことができるため、持てる力を十分に発揮することができる。しかし、極度のストレスがかかる国際大会などでは、極度の不安や過緊張に襲われ、心が揺らいでしまうことがある。このような場面では、心の揺らぎが原因で、競技中の動きが固くなったり、リズムが悪くなったりして、パフォーマンスの発揮が妨げられることがある。一方で、国際舞台に強いアスリートは、どのような場面においても精神を競技に向いた状態にコントロールできるために実力を十分に発揮することができる。

アスリートに見られるこのような「心技体」の関係は、子どもたちの運動の実践にも見られる。運動の苦手な子どもを観察すると、練習ではうまくやれていても、いざ本番になると、失敗してしまう子が多いことに気づく。運動に苦手意識を持っている子、人の目を意識する子にあっては、体育の授業などの人に注目されて体を動かす場がアスリートにおける世界の舞台に該当するのかもしれない。この場で、うまくできずに友だちの笑いや教師からの叱責を受ければ、それが心の傷につながることもある。その結果、運動の場面で萎縮してしまう子どもができてしまう。これが繰り返されると運動の苦手意識を生み出し、そして運動嫌いをつくることにもつながることも考えられる。

運動に限らない。卒業式で壇上に登り、卒業証書を受け取る子どもが緊張のあまり、右手右足、左手左足を出してぎこちなく歩く姿を見ることがある。歩行は、極めてシンプルな運動であり、しかも一歳頃で始め、長く経験をして自動化している動作のはずである。しかし、このように思いがけずコントロール不能に陥るのである。

これは、私が考えた心技体の関係を示した図である。「技」「体」の下には丸い心がある。心は、コロコロ転がる。落ち着いた状態、集中した状態、緊張した状態、やる気のない状態など。すなわち、コロコロ転がる心の上にある三角形は、揺らいでバランスを崩してしまう。これが競技会や授業の場面であがってしまって、動きが硬くなったり、ぎこちなくなり実力を発揮できない状態と言えよう。転がる円の上でも常に三角形がバランスを保つことができれば、大切な場面でも技術や体力を発揮することができると言える。

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私は、これまで、「技」と「体」をテーマに研究を進めており、得られた知見をコーチングの場面でも活かしてきたという自負がある。しかしながら、本番でも力を発揮できる「心」を育てるコーチングには、未だに自信を持つことができない。では、なぜ「心」の研究をしなかったのか? それは、研究の場において、競技場面に見られるような極度の緊張状態をつくることができないと考えたからである。しかしながら、最近になり過去の経験を振り返る後ろ向き研究(レトロスペクティブ・スタディ)であれば、コーチングのための何らかのヒントを得られるかもしれないと思うようになった。トップ・アスリートであれば、オリンピックや世界選手権等の舞台で成功した要因および失敗した原因を探るような質的研究も興味深い。今後は、コーチング学の見地からのこういった研究の推進にも期待したい。コーチングの研究には、まだまだやり残されたことが多いと思う。

 

尾縣 貢(おがた みつぎ )博士(体育科学)

筑波大学大学院人間総合科学研究科教授、元日本選手権大会十種競技選手権者、公益財団法人日本オリンピック委員会専務理事、公益財団法人日本陸上競技連盟会長